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カフェみくみく

まったりと生きる。時には忙しく時にはのんびりと。家事が好き書くことが好き。

「沈黙」雑考。

突然、我が家の現実的な両親の喧嘩のエピソードになだれ込んでしまうので驚かれるかと思うが、現実問題として、日本では各自が各々違うお茶碗を使い、また他の人の茶碗を使うことは普通無い。・・・ところが、我が家の母方の祖母の育ての親は、カナダ人の宣教師さんだったので、母方の家では、お茶碗も皿も確か箸も、洋風に全員が同じ柄のものを使い、また洗って使い回すのが、私の幼い時には普通だった。ちなみに、母の嫁入り道具は銀の食器類であり、私も生まれたときは銀の匙をもちろん買ってもらった。私が高校生の頃、無理やり父がこの習慣を改めさせたけれども、母はクリスマスのローストチキンまで焼くなと言われ、非常に悲しそうであった。

・・・私が、各自のお茶碗なるものと自分用の箸を持たされた時思ったことは、「これで家は一つの家族ではなくなった。単なる別々の人間の寄り集まり所帯になったんだ」と言う奇妙な感慨であった。別々の柄と大きさの茶碗。使いまわすことのない茶碗。それは、父の言うように家族といえども他の人間が使わない、という清潔感はあったかも知れないが、高校生の私はこの時、非常時に助け合っていたウチの家族と言うのはもう消えたんだ、と感じた。そのくらい大きなカルチャーショックであった。

よく、銀の匙と言うと選ばれた階級と言うイメージがつきまとうが、本来の赤ちゃんに銀の匙を持たせる意味合いは、ここに新しい小さな家族ができたよ、という記念なのである。クリスマスのローストチキンにしても、何でそんな贅沢をするかと言うとそれは、1年の内で一番大切な日。キリストが生誕した日だからこそ、そういう大盤振る舞いをするのである。

日本人だって、神棚にトイレットペーパーを置いたり、仏壇を本棚にしたりしたらやっぱり嫌だろうに。
このように、日本的な習慣を他宗教の人間に無理やり押し付けること。それは一つの暴力に限りなく近い、と私は思う。


映画『沈黙-サイレンス-』アメリカ版予告編