カフェみくみく

まったりと生きる。時には忙しく時にはのんびりと。家事が好き書くことが好き。

ずっと考えていたこと。

引きこもるって、そんなに特異な現象なんだろうか。
今、世の中は核家族化が進んで、
真っ白い家あるいは集合住宅の中に、数人の人間が閉じ込められている。
そこに、訪ねに来る他人も滅多にいないのが、だんだん常態になりつつある。
子どもは、いい大学に入らないと将来がない。だから親は、馬車馬のように子どもに勉強をさせる。
でもうまく行かない場合もある。だから、ひっきーが出現する。ひっきーというのは、大抵愛されることに失敗している子どもたちだ。それはしんどいことだ。
だけど、じゃあ親の目論見(=教育)が成功して、無事一流大学に入れて、一流企業に就職できれば、素晴らしい老後が待っているんだろうか?
とんでもない。
今の日本では、バタッと倒れて死ぬまで働かないと、下流老人になると言う。施設にも入れないと言う。
そんなに頑張って、頑張って国に利用されてどこへ行くんだろうか?
ひっきーは生きづらい。
脱出するのは難しいし、50、60歳になって最後は生活保護に落ち込むケースが極めて多い。世の中からも、ごきぶり同然に言われる。
それはなぜか。
みんな、本当はもうこんなに働くのは嫌だからだ。
ひっきーが、羨ましい妬ましいから攻撃するのだ・・・。
そういう国とか世界って、もう狂ってないか?
死ぬまで制度にこき使われて、ある日ピンピンコロリしなさいって言うの可笑しくないか。
何のために生まれて死んでゆくんだ?
健康な子どもを、国のために生産して働いて働いて死ぬ。
今の、バブル世代以上の人はそれが当たり前で、それをしていれば生活は豊かになると信じていた。そして、昔のような社会を実現しろという。
でも、いわゆる富裕層は一度得た莫大な富を手放したりしないだろう。
今、国民なんて本当はいない。搾取されている虫けらたちが、「あいつのほうがまだ恵まれている、あいつはもっと働けるはず」と、内紛を起こしているだけだ。
話は戻る。
ひっきーだって本当は甘えているよりも愛されたい。愛したいし働きたいのだ。
だけど、大抵ひっきーの親は悩みつつも、子どもを手放さない。稀に、20代で追い出すきとくな親御さんもいるけど、大抵が社会復帰にはもう遅いと言った状態である。
なんでそんなに子どもをあまやかすのか。
さみしいからだ。
親自身が、さみしくってさみしくってたまらないからだ。子どもという、唯一の財産から愛されたいからだ。
だから、ひっきーは疲れている。みんなが疲れている以上に。

 


宇多田ヒカル - 誰かの願いが叶うころ