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カフェみくみく

まったりと生きる。時には忙しく時にはのんびりと。家事が好き書くことが好き。

ザ・現代日本小説。

「コンビニ人間」を再再読して、いささか真面目な感想を書く。

これは、本当に現代に稀な「ザ・小説」だと思うのだが、
第一に、まず文章が非常にわかりやすく、かつ自己陶酔的に実験的なところが少しもない。
(注・ネタバレになるが、店員のトゥアン君とから揚げ棒を持って走り回るくだりで私は本当にゲラゲラ笑ってしまった。)

第二に、つくづく思ったが、小説の役割と言うのは、
人間の生きる高潔さを述べることでもなく、世界平和を熱く語る事でもなく、
恋愛の豊饒さを愉しむことでもなく、少数民族の幸せをひたすらに守ろうとすることでもなく、
もっともっと、現代日本社会と言うものをおおっている奇妙な薄気味悪さのようなものを、
乾いた笑いで吹き飛ばすことなのではないかと思った。

主人公が、赤ん坊を泣き止ませるだけならば簡単なのに、というくだりで拒否反応を示している方がかなりいるが、
じゃあそういう方々は相模原殺傷事件を本当に悲しいと思っているのか。
あるある女子会を、当たり前の風景だと不平不満を言っている方も多いけれども、
私くらいの年齢になると、ザ・女子会その後の姿のグロテスクさも見えてくるわけで、
(要するに、子育てが終わって介護に入り、夫婦の愛もそろそろ冷めてきたよと言う家族の醜さみたいなものである訳だが、)
年を重ねるにつれて、きっとこの人はそういう世界に対しますますご健筆をふるって下さると思うのである。

第三に、ここが一番重要なのかもわからないが、
書かれている風景が、現代日本人にとって極めて当たり前の世界である。
しかし、そこにある主人公の視点や言動、行動は少しも世間的に当たり前でない。一種の宇宙人のようですらある。
しかしながら、コンビニと言う小世界と、主人公の聴覚がきちんと描写されているから、
そこに言うに言われぬ説得力がある。

村田沙耶香さんという、ここに本格的にデビューされた作家にエールを送りたい。

 

miku-hayama.hatenablog.com

 

再読。

再び、きちんと読み直して感じたことをつらつらと書く。
この主人公の恵子さんの生き方は、何やらやるせないのだ。
学校でも家庭でも、居場所と言うものがまったくなくて、コンビニ店員としてマニュアルに従う事で、自分のアイデンティティを獲得している訳なのだが、
そこに、何というかものすごい勘違いがある。
要するに、周りにいる「あちら側」の人間は、誰もそんなロボットみたいにコンビニ店員していない訳である。(当たり前だが。)
この恵子さんは、一種のロボットである。
私もそういう面は、限りなく近くあるので理解は可能なのだけれども、
現実の日本社会と言うのは、落ちこぼれ哲学者の白羽が言う通りで、
縄文時代以来(かどうかは知らないが、)ほぼ同じ規範で動いている。
言外の言と言うか、人間とはかくあるべしと言う基準が世間にはある。
恵子さんは、そういう言外の言を逸脱して生きている。
本人も、それじゃまずいとどっかでわかっていて、だからこそ必死に他の店員の服装のデータをこっそり盗んだりしている訳だが、
そこに世間体を気にするという感情が抜け落ちているつか、そもそも世間体と言うものが彼女の中にインプットされていない訳だから、
結果的にはたぶん、他の店員にはなんかおかしな人としてカテゴライズされているに違いなく、
だからこの作品の題名は「コンビニ店員」ではなく「コンビニ人間」なのである。

 

miku-hayama.hatenablog.com

 

 

コンビニ人間。

これはもうすごいぞ!

私は、1964年の小島信夫の「抱擁家族」以来、日本の小説はテーマ的に止まっているとずっと思っていた。
恋愛によって築かれる核家族は、もうとっくの昔に崩壊している。その、精神的あるいは肉体的崩壊を、密かに皆、隠しながらどこかに、親とは違う真の愛で、自らを救ってくれる人がいると信じてきた。それが、現代小説と言うものの本質である。
ところが、この村田沙耶香の「コンビニ人間」は違う。
社会のマニュアルに従う事、例えうわべだけでも資本主義の一兵士になることこそが、この狂った普通の家庭から逃れる道なのであると、高らかに宣言している。そこに、哲学的思弁をめぐらして本当の意味での社会の落ちこぼれになってゆく、白羽と言う男(これは、ある意味今までの現代小説家のカリカチュアにも思える)の参入する余白は、ないのだ。
清清しいまでの、「ポスト現代小説」の誕生である。

 

コンビニ人間

再生。

今まで私は、いろんな人と付き合ったけれども、
いつもどこかで、一人の方がいいなぁと思っていた。
実際今振り返ると、どんなに私がしがみついた人も、
思い出すと、全部大嫌いな人ばっかりだった。
どうして私は、自分をないがしろにする人とばかり付き合っていたのだろう?
たぶん、私自身があまり好きでなかったせいだと思う。
私は、自分に愛情を注ぎたいし、もっと自分を大事にしたい。

 


旅立ちの唄~LIVE~

原点。

役に立つとか立たないとか、そういうことについて。

私の両親と言うか家族は、学歴的にも経済的にも恵まれていたけれども、なぜか私に対して無関心だった。

学校でも、吃音がひどかったせいか私はいつも孤立していた。

青春期に、志望校に落ちたりといろいろと挫折して、とうとう入院することになった。それは、千葉の僻地の隔離病棟だった。

今、思い出すとその八か月は本当につらかったけれども、不思議なことに奇妙な懐かしさもあった。

彼ら、つまり重度の知的障碍者の人たちと一緒にのタコ部屋に閉じ込められていて、十二人分の布団を敷いたりまた畳んだり、たまに程度の一番軽い人から飴を貰ったりもしていた。

彼らはほとんどが言葉を解さなかったけれども、ちゃんと私の表情や行動を観察していた。

一人の人間として、いちばん生な形で普通の態度ではなかったけれども、私自身とちゃんと言葉抜きにコミュニケーションしていた。相対していた。

皆で酷暑の中、スイカ畑の中をぽこぽこ歩いて炭酸飲料を買いに言ったりもした。おにぎりを取り合いっこもした。

あの、狭い十畳の部屋に、私に関心のある人間たちがいた。

両親と家族と暮らした、立派な本棚の沢山ある家に、それはついになかったのだ。

幸福な男。

彼が幸福なのは
彼が愛しているから
生まれたての息子と
まだ子供っぽい妻を

彼が愛しているのは
何故だか知らない
友達は彼に言う
お前には心の秘密というものがないと

だが彼は言う
俺は幸福だと
すると人々は云う
お前は不幸にならなきゃいけない
何故なら今は不幸な時代なのだからと

幸福な男は気障っぽい
幸福な男には話題がない
幸福な男は仲間はずれ
幸福な男はひとりぼっち

彼はだんだん疲れてくる
幸福であることに疲れてくる
彼は彼でなくなって
彼は人間になってゆく

とうとう或る日彼は言う
俺は不幸だ
何故なら俺は幸福だから
友達は優しく彼に握手を求める

これでやっと一人前
不幸を前歯の間でせせりながら
朝になると眠り込むのだ
みんなとそっくりの顔をして

     by谷川俊太郎

 


Chisato Moritaka 1989 Alone

 

花火。

いつも探していました
夜開けた冷蔵庫の扉のすき間に
積み重ねた黒いキャミソールの山に
ふとアクセスするアダルトチャットの文字に
女友達と称する仲間と食べるナポリタンに振りかける粉チーズに
朝のビルの谷間から見える暁に
桜の散った後の葉の翠に
電車の中の隣の人の週刊誌に
夏のウォーキングのついでに齧るクロワッサンに
クーラーの轟々唸る部屋の埃に
街路樹の黄葉しかかった駅前の人混みに
いつも寄るカフェーのオーナーの夫婦のエプロン姿に
こわごわと通り過ぎていたホテルの看板に
夕方の居酒屋の靴箱の中に
おそるおそる覗く洗面所のミラーに映る法令線
冬柄のこたつ布団をクローゼットから出す瞬間に
ノルディックなマフラーを弟へ包むクリスマスイブに
後ろから来る自転車の呻りに
黒い時計の針が残酷に刻むその音に
ポエム・カフェの静かな朗読の台詞に
五億年の果てしない孤独に
うす碧い浴衣の袖がそこに触れているのに
私がふと気づけば
それは生きてゆくことだったのです。


東京スカパラダイスオーケストラ / 星降る夜に