カフェみくみく

まったりと生きる。時には忙しく時にはのんびりと。家事が好き書くことが好き。

青空は最高に希釈された夜空だ。

私は、相当に物分かりのわるい人だった。

幼い頃から、母は「あんたは要らない子だった」とはっきり言っていたし、父も私には無関心だった。

どうして、そういう事実を素直に受け止めて、ストレートに泣いて、「この人たちはただ利用すればいいんだ」と、割り切れなかったのだろうか。

どこかで、「この人たちは可哀相だし、だから少しは愛して助ける’ふり’だけでもしてあげなければ」と思い込んでいたが、 現実には、父母は優等生の私がいることで、世間体も満足して十二分に幸せだったのだ。

どうも、そういう幼少期が根本にあるせいか、私は基本的に人間があまり好きではないのだと、すとんと腑に落ちた。

もともと私は、学生時代からインダストリアル・デザイナーになるのが夢だった。

父母が、勉強のできない私をあまりにも馬鹿にするので、一流大学に拘ったばかりに落ちて鬱になったが、 最初から美術系のちゃんとした高校に行っていれば、それなりのものになって、夢だったディンクス生活も出来ていたかも知れない。

とにかく、私は無機物、鉱物が好きで、植物はその次で、動物とか人間は苦手なのだ。

ついでに言うと、概念や宗教も嫌いだ。

回復途上で、最初に出会ったソーシャルワーカーが、神さま神さまとしきりに言うので、叩き込まれたお題目を三唱していたが、 現実には、全ての人なんか愛せない。

縁を切った方がいい人も、三倍返しした方がいい人も世の中には五万といる。

そんなものよりも、ずうっと天文台で星を見るのが中学時代の夢だった。

最果タヒは、「夜空は最高密度の青空だ」と詠ったが、私は敢えて言おう。 「青空は最高に希釈された夜空だ」と。

 


椎名林檎 - 青春の瞬き

搾取。

結局、私が気づいたのは、 「メンヘラは甘えている」とか、「みんな同じようにつらいのに、自分の事しか考えていない」とか、わかったように攻撃する人と言うのは、 自分自身、何か大きな鬱屈を抱えていて、精神を病んだ人に当たるんだ、と言う事だ。

普通の人は、自分が生きるので精いっぱいだから、病んだ人は病んだ人として、同情しながらも傍目で通り過ぎてゆくのが普通だし、 ちゃんとした援助職の人は、怒ったり叱り飛ばしたりしないで、自信がない人を褒めつつきちんと伸ばしてくれる。

メンヘラ女性が大好きで、そういう人としか付き合えない男性はまれにいて、いかにも自分がとてもよいボランティアをしているかのように語りたがるが、 現実には、彼らも病人から何か大きなもの、無償の愛情やリスペクトを搾取しているにすぎないのだろう。

 


優しい悪魔 キャンディーズ 歌詞 /フル バージョン

逆転。

私は、両親を暖かい眼差しで見つめて、愛情を注ぎ続けるのに疲れ果てたのだと思う。

両親は私をある意味では甘やかしていた。

・・・それは、自分達が私からの愛情を欲していたからだ。

要するに、両親は私にべたべたに甘えて、愛情を貰ってなんとか生き延びていた。

そういう、怪物みたいな何かものすごく薄気味悪い生き物だった。

私は、いくら愛しても愛しても「まだ足りない」と、両親が態度で行動で示すので、 疲れ果てて絶望して、お婆さんのように背中を丸めていた。

両親がようやっと死に際に近くなって、 もう他人の世話をしなくてよくなって、

私は自分で自分の世話のやり方を教えてくれる人を見つけて、

私の背筋は、ようやくしゃきっと伸び始めた。

その人は、私をちゃんと褒めたり叱ったりしてくれる。

両親をリスペクトする気持ちは、ようやく壊れたグラスみたいに粉々になった。

 


中森明菜 - Riverside Hotel (Live Empress at CLUB eX 2005)

選択。

私が入院した時、父はぼそっと、 「お母さんはだめだ。お父さんと一緒に、小さな家を建てて二人で暮らそう」と言った。

それは本心からの言葉だったのだと思う。

その選択肢が一番正しかった。

でも、私は長年にわたって私に意地悪をする母を放って置いたこの父を、もう信じる力がなくなっていた。

私は、「それは無理だよ」と一言言った。

父はそれきり、もう何も言わなかった。

一方、何か浮かれたように母親は私に耳打ちした。 「あのね。あなたが生活保護を受ければ、この病院に一生いられるのよ」と。

それはとても厭な提案だったが、現実的に実行が十二分に可能で、 しかも考えようによっては、悪い提案ではなかった。

そこは(父が放り込んだ僻地の酷い閉鎖病棟ではなく、二番目に母が選んだ病院は、)日本で一番古い開放病棟だった。

仲間も沢山いたし、あの草間彌生さんが私と同じ主治医の下で、当時そこで現実に創作活動をしていた。

そういういい病院だった。

でも、私はまだ当時25だったのだ。 一生をここで送るのはいやだと私は思った。

 


森高千里さん 『雨』

 

 

シンデレラ。

・・・現実には、私は頭は悪かった。

少なくとも、本を読んで自分の頭で考えて判断するのは苦手だった。

器量も、表情が暗かったから不細工に見えただけで、顔立ちもスタイルも本当は整っていた。

男性的に物事を頭脳で分析し、一人で生きてゆくタイプではなかった。

身体的で女性的だった。

でも、バカだったから親が押し付けるままに必死で勉強ばかりしていた。

本当は私は、綺麗に髪を巻いて、お化粧してダンスをしたかった。

そういう事が、本当は出来る女の子だったと思う。

頭がよくて、嫉妬の塊になっていた醜い母親は、私の可能性を、丁寧にひとつずつ呪いをかけるように潰していった。

 


シンデレラ テーマ曲(歌詞付き)

家の中の捨て猫。

今朝になって思うこと。

母に関して思い出すことは、いつも机に向かって勉強していた後ろ姿だけだ。

本当は、母は料理も洗濯も掃除もしていたはずなのに、それは全く思い出せない。

たぶん、嫌々仕方なくやっていたからだろう。

幼い頃、実家にいた頃私はいつも、誰もいない家で、布団だけ引いて適当にその辺で寝っ転がっているような気がしていた。

食べるものはあったし、服も最小限のものはあったし、寝るところもあったのだから、 これは普通にはネグレクトとは呼ばない。

でも、両親は私に何にも教えなかった。

顔の洗い方も、お風呂の入り方も、ボタンの止め方も、箸の上げ下げも、料理も洗濯も掃除も世の中のことも、何にも教えなかった。

「お前は、頭が良くて器量は悪いから、一人で生きてゆけるように公認会計士になりなさい」といつも説教するだけだった。

私はひとりぼっちで、家族がいる筈の実家でその辺で勉強だけして寝ていた。

私は、家の中の捨て猫だったのだ。

 


上を向いて歩こう / 忌野清志郎&甲本ヒロト

 

詩を書くのはお金のためだ。

「ココア共和国」の事について、少し書きたい。

ネットでささやかに活動していた、当時全く無名の私に「掲載詩を書きませんか?」と、 持ち掛けて下さったのは、秋亜綺羅先生だった。

私は、新人以前の人間の傲慢さと大胆さで、かなりに下手な詩を堂々と書いたと思うが、 その縁あって、仙台のポエム・カフェにお邪魔した暫く後に、

家に、予告なく五千円の郵便小為替が「原稿料」として送られてきた。

・・・私は、高校時代に実は半年間、ロッキング・オンと言うロック雑誌で、 原稿用紙八枚で一万円の投稿料を頂いていた。

それでも私は仰天した。

たった二頁の詩に五千円だ。(しかも、仙台行きの際に、あきは書館で秋先生は、 ココア共和国の貴重なバックナンバーをすべてくださっただけでなく、 今現在も、私の家にココア共和国の新刊を無料で送り続けて下さっているのである。)

そんな詩誌を他に、私は一冊も知らない。

書くという事は、即ちお金を稼ぐと言う事だと秋先生は把握していらしたのだ。

しかも、それは有名無名とは関係ないのだと。

こういう詩誌が、全国におそらくただ一つであることを、 私は過去の執筆者として誇りにも思い、また残念に考える。

 

季刊 ココア共和国vol.21

季刊 ココア共和国vol.21